はじめまして。
セラピストの
有美 衣真(ありみ えま)です。
数多あるカウンセリングやセラピーの中から
当サイトへお越しくださり
ありがとうございます
セラピーやカウンセリングを選ぶ際は
そのセラピストがどんな人となりかを
見極める必要があるかと思います。
なので、私がどんな人なのかを
お読みいただけたら幸いです。
簡単なプロフィール
高圧的な父に、家族中が怯える
そんな機能不全家族※の元に生まれ
人生の脚本※がつくられる
幼少のころから、
つらい出来事の連続でした。
我慢に我慢を重ね、
無理がたたってしまい、
大人になってから鬱に。
トラウマと薬の影響からか
自分が生きているのか死んでいるのか
わからなくなり…
生き地獄を経験しました。
今ではその経験を活かし
あらゆるお悩みに対しての
セラピーと
複数の心理療法を用いながら
アダルトチルドレン、
愛着障害、HSP、共依存、
毒親育ちなどでお悩みの方や
同じパターンで恋愛がうまくいかない方、
また、
本来の能力をもっと発揮したい方
もっと輝いて生きていきたい方
魂の目的を達成したい方などへ
セラピーを提供しております。
※機能不全家族とは
家族がそれぞれの役割を果たさず、
家庭内で弱い立場にある人に対して、
身体的または精神的ダメージを
与える機会が日常的に存在している
家族状態のことをいいます。
※人生の脚本とは
幼少期に経験した感情や体験によって
無意識に繰り返してしまう人生のパターン
のことを人生脚本といいます。
たとえば幼少期に
親から十分に愛情をもらえなかった場合、
その人は大人になってから、
「私は愛される価値がない」
という無意識の思い込みで、
人生を生きることになります。
その結果、いつも同じようなパターンで
パートナーとの関係が終わってしまうか、
自ら破壊してしまうことがあります。
こちらで提供しているセラピーでは
人生脚本を変えることができます。
セラピーはあなたと
セラピストとの相性がとても大切です。
長くなりますが、
私の人生のストーリーや
病気になるまでの経緯、
克服までの道のり、
また、
本来の能力が覚醒するかのような体験や
人生で大切にしている豊かになる価値観
などを書いてみました。
セラピストを選ぶ際の
参考になりましたら幸いです。
詳しいプロフィール
幼少期・機能不全家族の元に生まれる
私の家族は父、母、姉、妹、祖母(父方)
の5人家族で、機能不全家族でした。
祖母は母をいびる上に、
他人の前ではとても良い人を演じるが、
その人が帰ったら悪口を言う、という
裏表の激しい人でした。
父は基本、家には帰って来ず、
帰ってきたとしても大量にお酒を飲んで
必ずと言っていいほど
家族の誰かを大声で怒鳴っては
相手を泣かせていました。
そんな家に嫁いだ母は
体が弱くよく寝込んでいました。
しかし、
母は父が帰って来ないことを気にして
「みんなうちのことを
何て言ってるか知ってる?
母子家庭って言ってるんだよ」
とまだ幼い私へ言ってくる人でした。
当時、幼かった私はこの意味を
よくわかっていませんでした。
でも、HSPの気質があったからか
「私がママを助けてあげなきゃ、
笑わせてあげなきゃ」と思っていました。
たまに父が帰ってきたかと思うと
父と母の大喧嘩。
そのたびに布団を被って泣いていました。
何かが割れる音、
大声で怒鳴り合う二人、
母の泣き叫ぶ声。
「私がいい子じゃなから
二人が喧嘩しているんだ」
「私が生まれたのがいけなかったんだ」
「子は鎹(かすがい)っていうけれども、
私何の役にもたたない…」
二人の喧嘩があまりにも激しかったとき
母が私たちを置いて家を出て行こうと
したこともありました。
「見捨てられる!」
と強烈に恐ろしかった記憶があります。
そんな思いが積み重なり、
泣くときは常に過呼吸になっていました。
妹だけ特別扱い、母に不満を抱く
姉と私へは厳しく躾け
何か悪いことをしたら、
家から閉め出したりおしりを叩く母が、
妹が生まれた途端、
私たちにはしないような甘やかし方を
妹へ行うようになりました。
例えば、
母は私が何かを達成したとしても
簡単には褒めてはくれなかったり、
逆に成績が悪いと「本当に私の子かしら」
と傷つけてくるのに、妹へは特別扱い…。
また、私が
「バレエを習いたい」と懇願しても
「あんたには無理」とあっさり却下。
しかし、妹は顔がとても可愛かったので
お金のかかる芸能活動やピアノを
やらせてあげたり、
「一番下の子だけ目に入れても痛くない」
と言ったり。
私はというと「あなたのためよ」と、
やりたくもない習字を
6年間もやるはめに…。
母の愛情を独り占めしているかのような
妹がだんだんと憎い存在に
感じていきました。
でも、「そんなこと思っちゃダメ」と
必死に良いお姉さんになろうとも
頑張っていました。
幼いながらにモヤモヤし、
母に対する不満を
抱えるようになっていきました。
父、最悪のタイミング「お前たちは本当の姉妹じゃない」
小学校4年くらいのことでした。
姉と喧嘩をしたとき、
姉が家を飛び出してしまったのです。
その様子を見た父が、
「お前たちは本当の姉妹じゃないんだから
仲良くしなさい!」と叱ってきました。
最初意味がわかりませんでした。
姉との喧嘩で既に泣いていた私は、
父の言葉の意味を理解した後、
死ぬのではないかと思うほどの
強烈な過呼吸に襲われました。
そして、
「お姉ちゃんは辛かったんだから、
私がお姉ちゃんを守る!
私がお姉ちゃんを笑顔にさせるんだ!」
と誓うようになりました。
虐待…、誰も助けてくれない
小学校高学年に入った頃、
父のアルコールに対する依存は
エスカレートしていました。
暴力的な発言、
人を見下すような意識、
お金で解決させる姿。
正義感が強かった私は、
父の間違えを指摘してしまいました。
「親に向かって
その口の利き方はなんだ!!!」
「誰のおかげで
飯が食えると思ってるんだ!!!」
そのようなことを言っていたと思います。
鬼のような恐ろしい顔で殴られ…
結果、その後も姉妹間で私だけ
虐待を受け続けるようになりました。
ひどい時はMRIを撮るようなことも
ありました。
私が殴られているとき…
母は助けてはくれませんでした。
「いらないんだったら生むなよ…」
幼いころから思っていましたが、
「この家は無理だ。
私が大人になったら
絶対に愛の溢れる家族を築くんだ!」
と強く決意したのもこのころでした。
突然の母の死、ひたすら自分を責めるように…
思春期に入り、母に向かって
暴言を言うようになり始めた頃でした。
母が急に他界しました。
母は常に「早くしなさい」
が、口癖の人でしたが、
自分の寿命まで早くしてしまいました…。
私たち姉妹は全員、
母が亡くなる前後の記憶が
無くなっています。
ただ、私は「母を救えなかった」
という思いや、
思春期による私の暴言が、
母の寿命に影響を与えたのではないか、と
自分を責めるようになりました。
育児放棄、壊れていく心
母の死後、父は家へ帰ってくることを
完全に無くしました。
姉妹だけで生活する日々が始まりました。
母の死を乗り越えることも
できていないので
家の中はぐちゃぐちゃ、
ゴミ屋敷同然となりました。
臭いの問題から学校ではいじめを
受けるようになり、
勉強どころでないのに
先生からは成績が悪いことを
責められるようになりました。
「誰も私が辛い事をわかってくれない」
という思いは、日に日に大きくなり
「お前らなんか、親いるくせに、
なにいじめているんだよ」
「お前らみたいな人の痛みがわからない
やつはクズだ!みんな消えろ!」
とまで思うようになっていきました。
そんな中でも、
姉妹には笑っていてもらいたいという
思いから、家の中ではおどけて
笑わせるようにしていました。
ただ、姉妹が笑ってくれて
ホッとした瞬間…
なぜか涙が流れていることもありました。
「私、何か壊れているのかなー」
ぼんやりとそんなことを
感じるようになっていました。
祖母の猛毒、この世のすべてを呪うように…
中学2年生くらいのある日、
母の死の原因を、祖母がこう言いました。
「あんたのお父さんが○○(知人)
と浮気していて
周りの人がそれをお母さんに教えて、
あんたのお母さんはそれが原因で
苦しんで早く死んだんだ」
こんなことをいきなり言われても
私にはどうすることもできないし、
事実かを確かめようもない…。
ただ、「あんたのために教えてやるよ」と
母に一番言いそうなのが
おばあちゃんな気もしたり…。
そもそも「あんたの父さん」って
あなたの子供だし、
あなたの育て方に問題があったから
浮気するようにな人になったんじゃないの?
とも思いました。
誰に恨みを持ったらいいのか
分からなくなり…
この世のすべてを呪うようになりました。
辛い記憶のお弁当・飢えと孤独
高校に入り、給食がなくなりました。
以前父から
「お前に幾らかかってると思ってるんだ」
と言われたことが気になって、
一番安い菓子パンを食べて
凌ぐようになりました。
みんなが当たり前に持ってくる
お弁当がとってもうらやましかった…。
「きっとお母さんの愛情が入ってる
お弁当なんだろうなー」
と思ってしまった私は
「恨めしそうに見てはいけない」と
分かっているのに
実際には恨めしそうに見てしまい…。
せっかく出来た友達からも
疎ましく思われてしまい
高校でも孤独に過ごすことになりました。
料理は大の苦手、でも妹の支えになりたい
「私がお弁当で辛い思いをしたから
妹にはそんな思いはさせたくない」
そんな思いから
妹がお弁当が必要なときは
私が作ってあげるようになりました。
料理は得意でない上に、
早朝から台所に立つのが苦痛でした。
でも、それ以上に
「私より幼いうちに母親を亡くして
この子のほうが辛いだろうから、
私が少しでも
この子の心を埋めてあげたい」
そんな思いを妹に持っていました。
姉妹間で仲間外れ、苦しくても「助けて」が言えない
家でおどけてばかりいたからでしょう…
姉妹から馬鹿にされるようになりました。
それでも
おどけることを辞められなかった私は、
いつしか
「誰も私が苦しんでいる事を
わかってくれない」
という思いが溢れてきたころ、
食後に吐き出してしまうように
なりました。
ただ、
その姿を姉に見られてしまい
「それって病気なんだよ」
と言われ…
脳内変換機能が壊れていた私は
「それって心が弱いからなんだよ」
と勝手に変換して捉え、
「絶対に弱いなんて言わせない!」
と訳のわからない根性で
治してしまいました。
実家には私の安らげる場所はない
家にいるのが辛くて
社会人になって、家を出ました。
しかし、家を出たことで妹から
「お姉ちゃんだけ逃げて、
一番上のお姉ちゃんが可哀想でしょ!」
というような内容のメールを受けました。
私もそれなりに妹には
お弁当を作ってあげたりと
姉らしくしていたつもりでしたが、
「私の思いは届いてなかったんだな…」
と悲しくなりました。
そして、
「嫌だったら二人も家を出れば良いのに、
なんでこんな事を言われなきゃ
いけないんだ」
と、自分の人生を生きようとすることが
わがまま扱いされる実家に嫌気が差し、
さらに実家に帰らなくなりました。
「何をやってもダメ」常に劣等感に苛まれる
「このままじゃ嫌だ!」と
幼いころからの憧れ、
踊りの世界へチャレンジしました。
そして、有難いことに
踊りの世界で有名な先生から
センスを認めてもらえました。
しかし、子供の時にバレエを
始められなかったことが原因で
あきらめなくてはいけない
という事態になり、
母を恨みました…。
これを機に
自己肯定感はますます下がり
「自分は何をやってもダメなんだ」と、
常に劣等感を感じて生きることに…。
仕事は覚えるのが遅く、失敗ばかり。
人間関係もうまくいかず
派遣とアルバイトを転々としました。
また、恋人ができても
いつも同じパターンで別れることに。
こんな状況が続き、
身も心もぼろぼろになっていきました。
「幸せって何なんだろう…
あー…、私きっと
心に穴が空いているんだろうなー」
穴のふさぎ方もわからず
ただただ、死なないように
生きるだけの日々でした。
「お前が病気になればよかったのに」家族間の修復不可能な亀裂
そんな中、
姉が一生治ることのない病に倒れました。
姉の入院の手伝いの中、
妹と今後どうやって協力していこうか
と話し合いをしたとき…
「一番上のお姉ちゃんは
自分の人生を犠牲にして
私たちを育ててくれたのに、
好き勝手に生きてる
あんたが健康だなんて!」と、
再度妹から厳しく責められました。
まるで、
「お前が病気になればよかったのに」
と言われたかのようでした。
母を早くに失っている私たちは
姉の病は無意識に母を投影※するので、
互いに辛いのは致し方ないのですが…
家族間では修復不可能なくらいの
大きな亀裂ができました。
※投影とは
自分の心の状態を通して
他者や物、世の中を見てしまうこと。
特に条件(性別や年齢、役割など)が
似ていると親などを対象の相手に
無意識に重ねて見ることがあります。
この場合は、妹は亡くなった母を
姉に重ねて見ています。
心の時限爆弾・限界を超え、ついに爆発
なにをやってもうまく続かない…
もがけばもがくほど悪化する…
姉の発病から数年後、
時限爆弾が爆発したかのように
鬱を発病しました。
根性が座っていた分
我慢に我慢を何十にも重ねたせいで、
簡単には修復できないような
壊れ方でした。
生き地獄・まるでブラックホールのような心の闇
動けなくなった体を誤魔化し、
なんとか病院へ行きました。
が…
やっとの思いでたどり着いた病院では
話しはあまり聞いてはもらえず、
薬での対応。
あっという間に症状は悪化しました。
そして、出口の見えない戦い
が始まりました。
「いつまでも会社を休んではいられない」
と焦れば焦るほど、空回り。
カウンセリングをしてもらっても
私には通常の話を聞くだけの
傾聴カウンセリングでは効き目は出ず、
認知行動療法も試したのですが…
私のようなタイプの人間には
効き目が出ない…。
EMDRというトラウマの治療は、
唯一効き目を感じましたが、
10万円超えたあたりから、
このままこれを100万円以上やっても
「私の心の闇は終わらない」
と確信しました。
薬の量は増える一方で、
症状は悪化するばかり。
パニックから電車に乗ることが
できなくなり
一人で病院に行くことも
できなくなりました。
元々あった手の震えは大きくなり
拒食症も悪化。
慢性的な不眠で睡眠薬や
医師から言われるがまま薬の量が増え
薬が多すぎることから
アカシジアを経験…。
さらには病名も増え…。
まさに生き地獄でした。
この頃の記憶は薬のせいもあって
ほとんど覚えていません。
「私は社会のゴミだ、私が生きていたら人に迷惑をかける…」と生きる価値を見失う
働くことも、
動くこともできない日々が続き
「自分は社会のゴミだ」
「私が生きていたら
人に迷惑をかけるだけだ」
そう思って自殺を試みました。
しかし…
数日経って目を覚ましてしまい
死ぬことができなかったことに
絶望しました。
さらに、
大好きな姉からとどめかのごとく
「生きたくても生きられない
人間がいるのに死のうとするなんて、
絶対に許さないからね!」
とまで言われてしまいました。
この頃の私は
「自殺できないなら
殺人鬼にでもなってしまいそう…」
そのくらい追い込まれていたように
思います。
復活の序章とチャネリングの危険性
『なんで死なせてくれないの!?
死ぬこともできないなら
本来の私に戻して!
どうしたら子供の時のような
本来の私に戻れるの!?』
と心の中で強く叫びました。
『あなたはここでは治らない。
自分で治す、ヒーラーになりなさい』
突然声が聞こえてきました。
ついに頭までおかしくなったとも
思いましたが、
教えてくれる内容が妙に信頼できたので、
色々と相談をしたり
教わったりしながら、
実際にいくつかのヒーリングも
学びにも行きました。
ただ、
その過程でチャネリングによって
反って苦しんでいる人とも遭遇したり、
危険な目に遭っている人とも
情報をシェアすることがありました。
実際に私もチャネリングで
恐ろしい経験をしているので
一旦チャネリングを
封印させる事を選びました。
チャネリングは
素晴らしい面もありますが、
心が安定していないと危険
という事を強く実感しました。
癒しと許しによって夢の実現へ近づく
ただ、良い学びをした部分は
私の中ではしっかりと残っていたので
自分を癒すためのヒーリングは
続けていました。
その甲斐あって父を許せ
鬱を克服でき
社会復帰を果たせました。
そして
幼少の頃に強く決意した夢への一歩
理想的な人と出会い、
結婚することもできました。
アダルトチルドレンにやっと気づけたことで、覚醒への道が開ける
しかし!
結婚生活が始まったと同時に、
夫に親や姉妹を投影している自分がいる
ことに気づきました。
その数の多さといったら
半端ないもので…。
朝から晩までイライラしたり
不安になったり。
「これは鬱を克服した時よりも
大変かも…」
と、自分が
強烈なアダルトチルドレンである事を自覚
しました。
「このまま放置したら
離婚だろうな…(-_-;)」
得意のヒーリングを
より繊細に改良し、
アダルトチルドレンの
克服に取り組みました。
自分が行って気づいたこと、
それは、
アダルトチルドレンの克服過程は
「覚醒」という実感でした。
本来の自分を取り戻すことで、魂からやりたいことに目覚めた
自分を人体実験したような感覚も
あったのですが…
私は他人の顔があまり認識できない
ところがありましたが、
アダルトチルドレンの克服過程で
他人の顔の認識が
できるようになったのです!
「“過去を癒すと脳が修復される”
って本当だ!」
と肌で感じました。
他にも…
勉強ができないという思い込みから
本を読むことが一切できなかったのが
この時を境に意外と
読めるようになっていたり、
生きづらさが息づらいにつながるため
鼻から息を吸うことが
一切できなかったのが、
時々詰まりはするけれども
鼻呼吸できるようになったり。
慢性的に胃痛を起こす体でしたが、
胃が痛いと感じること自体も
なくなりました。
「自分は何をやってもダメだ」
というセルフイメージがなくなり、
「私はやればできる子」
と思えるようになったことで、
今まであきらめていたようなことも
挑戦できるようになれました。
そして、
何のためにあの親を選んで
地球へ生まれてきたのかも
はっきりと理解できました。
それはまるで、
私の魂がやりたいことに
気づいた瞬間でもありました。
改善リアルゲームで愛にあふれた
幼少期に負った心の傷が原因で
いろんな問題に発展することも、
癒されることで改善されていく
経験をリアルにしたのですが…
その改善される過程が
とてもおもしろかったのです。
まるでゲームをクリアする
子供のような感覚でした。
父や母、祖母や姉、妹に対する
封印していた感情に気づき
癒されたあと、
夫との関係が大幅改善されたり、
関係ないと思っていたことまで改善される
リアルゲーム。
母や姉妹に対して憤りなんてないと
寝ぼけていたところから、
ちゃんと憤りを持っていたことを自覚し、
そこから全部を癒して、許して…。
そんなこんなで、
いろんな心のわだかまりが溶けていき
実家の人たちの生き方を
そのまま尊重できる自分へ成長、
すべてをそのまま愛おしいと思えるように
なれました。
私は離婚の危機から一変
幼少のころ強く決意した夢
愛にあふれた家庭を築くことを
達成することができました。
と同時に、時代がコロナ禍に
入っていたのもあったので、
「私のように困っている人を
得意のヒーリングでなんとかしたい」
という思いが溢れました。
しかし、ヒーリングだけではなく
スピリチュアルに興味のない方にも提供したいと思い、
心理学の学びを深めることにしました。
心理療法の共通点「だから私がここまで回復できたのか!」
心理学を学ぶために
いくつかの講座を受けたり
トラウマの研究をしたり
資格を取得したりと
猛烈に勉強しました。
その中で、
あるメソッドと出会い
大変驚きました。
それは
自分が今まで改良した内容、
宇宙から教わったことや
インナーチャイルドから
教わった方法などが
そのメソッドでも
心理療法として使われている、
という答え合わせにです。
「だから私がここまで回復できたのか!」
と納得もしました。
これで、スピリチュアルがお好きな方はもちろん、
いろんなタイプの方にも
提供できると実感しました。
もしこれを読んでるあなたが、苦しんでいるなら
誰でもストレスを溜め込みすぎると
心の病気や身体的な症状と
なってしまいます。
しかも、
強くて我慢ができてしまう方ほど…。
我慢の限界を超えてしまうと
大爆発してしまうことは
誰にでも起きうることです。
残念ながら、壊れたものを修復するには
それなりに時間がかかってしまいます。
悩みの中から抜け出そうと
自己流でもがいて
沼にハマってしまう前に
勇気を持って、早い段階で
相談してみませんか?
私は若い頃「助けて」が言えずに
沼の一番下、
生き地獄まで落ちてしまいました。
そして、もっと早く
良質な心理療法に出会えていたら、
ここまで人生遠回りしなかった
と思っています。
幸いにもいろんな力が働いて
今の私がいます。
が、心の仕組みを知らなかったら
今の私は確実にいません。
過ぎた時間は取り戻すことができません。
人生はたった一度、
苦しいだけで終わりにしないでください。
そして、
本当の自分を取り戻して
最高の幸せを感じながら
日々生きて頂けたら
と思います。
私は、自分が苦しかった分
同じように苦しんでいる方の
力になりたいと思い、
この仕事を天職と思って
務めさせていただいております。
セラピーを通して
クライアント様が
回復されていく過程や、
終了後に自分自身の人生を輝かせて
生きていらっしゃる報告をいただく度に、
私の方こそ幸せをいただいております。
最後までお読みいただき、ありがとうございます
もしあなたが苦しんでいたり、
お悩みを抱えていたら
もしくは、
恋愛がいつもうまくいかない
と思っていたり、
「本当の私の能力って
これが限界なのかな?
ひょっとして
私もアダルトチルドレンや
トラウマ、愛着障害とかHSP…
ちょっとよくわからないけれど、
私も何かのせいで
能力眠ってるだけなのかな?」
と思われた方、
また、
「魂からやりたいことって
私にも分かるのかな?」
と思われた方は、
お試しセラピーで
ご相談ください。